2019年7月のご挨拶

新・コンピューター事始め(Basic から Access)(1)

左は、Basicの型式管理メニュー、右図は、Accessの型式管理(Ver1)のメニュー(画像を一部加工)

目次

(1)はじめに
(2)事件は約40年前にさかのぼる?
 プログラミングと刑事ドラマ
 今日の主役が明日の主役ではない
(3)東芝パソピア
 型式管理システムの誕生(1982年)
 1982年の現場?
 OSがなかった時代のBasic
(4)NEC PC 9801初代への移行
 パソピアから9801へのパソコン通信(1983年)
(5)終わりにあたって

(1)はじめに

何回かに分けて、MS-DOS上のBasic及びdBaseのシステムをWindows XP上のAccess 2002 に統合・移行した話題取り上げます。
以下、MS-DOS上のシステムを総称して『在来システム』、Windows 上のシステムを『新システム』と呼ぶことにしましょう。
単なる懐古談とせず、目前の業務をAccess でシステム化したいと考える方に、多少でも、お役に立てば、幸いです。
とは言え、新システムの後継バージョンが稼働中であり、個別の画面、帳票等の詳細をそのまま語ることは、できません。
また、私の記憶や記録のあいまいさからも、逐一、記載することが難しいこともご理解ください。
そのため、2016年9月のご挨拶 『プログラミングと刑事ドラマ』を参考に、やや、脚色して、話を進めたいと思います。
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(2)事件は約40年前にさかのぼる?

プログラミングと刑事ドラマ

「事件を解明するためには、その背景を知る必要があるじゃろう。
 そのためには、今(2019年)から、37年前の1982年(昭和57年)まで、時間をさかのぼってみよう」

「なによ、いきなりすぎるじゃないの。
 読者の方が混乱するわよ。
 そもそも、『事件』じゃないでしょ。
 在来システムから新システムへの統合・移行のことでしょ?」

「お、Kishitani君、いや、ともちゃん。
 前述の『プログラミングと刑事ドラマ』で、プログラミング(システム開発を含む)と刑事ドラマが似ているという話をしたじゃろう。
 多くの刑事ドラマは、図で示すとこんな感じじゃ。
 

 一方、プログラミング(システム開発)は、
 
 ということだからな。

 今回の『事件』に即して言えば、
 ・ 目的:『在来システム』を元に『新システム』を作成し、スムーズに業務を移行させる、
 ・ 分析:在来システムから新システムへ移行、変更、削除、追加する機能を見定めることから始める、
 ・ 設計:Access のシステムとしては、ここが最大のポイント、
  ※ 在来システムから新システムへのデータ変換機能をどう作るかも、地味だが、重要な課題、
  ※ データ変換は、在来システム(BasicシステムとdBaseシステム)、新システム(Accessシステム)で個別に作成する
  ※ 新システムで初めて必要となるデータのうち、少数のものは、開発者側で、以外のものは、ユーザー側での作成を前提とする、
 ・ 作成:Accessの標準機能とAccess VBAを利用して作成する、
  ※ Basicシステムのフローやプログラムの一部は、生かすことを考える、
 ・ テスト:在来システムが稼働中であることを考慮し、開発者テストとユーザーテストの双方を入念に行う、
  ※ デバッグのため、エラー内容をファイル出力することも考える、
 ・ 完成:新システムの本稼働まで、一定期間、在来システムと並行して稼働させ、テストを行う、
 ・ バグの修正:ユーザーテストや本稼働後のバグ、設計変更等について、開発側とユーザー側とがどう連携して修正するか、
 ・ ドキュメント:システムの仕様やマニュアル、変更履歴等のドキュメントを作成する、
 なとが、大きな項目として、思いつくじゃろう」

「なるほど」
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今日の主役が明日の主役ではない

「でも、それなら、在来システムの歴史とか、さかのぼる必要は、ないんじゃない?」

「『年寄りは、とかく、昔の話をしたがるものでございます。笑ってやっておくんなさい」とも言える。
 だが、それだけでもない。
 歴史を知れば、今のシステムが、なぜこうなっているのか、その訳を知ることができるじゃろう。
 より積極的な意味では、『今日の主役が明日の主役ではない』ことが分かるじゃろう。
 具体的には、新しい技術や機器に対するわしらの心構えかのう。
 新しいものをポジティブに受け止めるか、それとも、ネガティブに受け止めるか、ということだ。
 新奇なものに対して、好意 7割、警戒 3割、程度が良いのではないか。
 特に上の地位に立つ人ほど、心がけておいて欲しいのう。

 得てして、過去に成功をおさめた組織や人は、新奇な相手を軽く見がちじゃ。
 だが、古い技術、製品、組織が新しいものに主役の座を明け渡した例は、枚挙にいとまがない。
 ※ 銅剣と鉄剣、弓矢と鉄砲、鉄砲と大砲、大砲と航空機、戦艦と航空母艦、大砲とミサイル、
  人力と蒸気機間、蒸気機関と電気モーター、帆船と外輪船、外輪船とプロペラ船、
  手紙と電信電話、電信電話とインターネット、ガラケーとスマホ、駕籠と馬車、馬車と自動車、蒸気機関車と電車、
  計算尺とPC、FDとHD(ハードディスク)、MO(光磁気ディスク)とUSBメモリー、レコードとカセット、カセットとCD、
  CDとデジタルプレイヤー、レーザーカラオケと通信カラオケ、レーザーディスクとDVD、レンタルとダウンロードサービス、


 ところで、何回か目かのブームとなっている 『人工知能(AI)』技術は、本番の時機到来だと思う。
 いずれ、上記のように、○○とAI、のように並べることができるだろう。
 更に、AIは、製品というより汎用的な技術なので、○○に入る対象が無数にあり得るということじゃ。
 これは、驚異だし、現在の産業界や職業にとって脅威ともなる」

「なるほど。
 PCもその例ね。
 パソコンは、日本では、1980年頃から、発展し、2000年にかけて、急速に進化した。
 2000年代に入り、絶頂期を迎えたけど、2010年頃から、スマホやタブレットなどのモバイル機器に主役を譲りつつあるわ。
 表裏一体のように、マイクロソフトとグーグルの勢力が入れ替わったしね。

 それを象徴する出来事は、Googleの『モバイル ファースト インデックスを開始します 』(2018/3)というお知らせ。
 『 モバイル ファースト インデックスとは、モバイル版のページをインデックスやランキングに使用し、主にモバイル ユーザーが探しているものを見つけやすくすることを意味します。
 簡単に言えば、Google検索で、より上位に出るサイトは、モバイル機器で見やすいサイトになるということよ。
 インターネットを閲覧する機器がPCからモバイル機器に移ってきた証拠でしょう。
 個人ユーザーがPCから離れて、モバイル機器に向かってきたのを見て、ショッピングや金融などのサイトが、HPをリニューアルしつつある。
 サイトのUIをスマホやタブレットに最適化しようとしている訳ね。
 PCとモバイル機器の双方をサポートするか、あるいは、モバイル機器中心か、を悩んでいるサイトもあると思うわ」

「新旧の主役同士が棲み分けることもあるじゃろう。
 たとえば、PCが、すべて、タブレットやスマホに置き換わることは、ないじゃろう。
 もし、NHK 教養番組『そのとき、主役は、代わった!』があれば、担当ディレクターは、ネタ探しに困ることは、ないな。
 ま、教訓めいたことは、このくらいにして、先に進めていきたいと思うので、よろしく、お願いしますよ。
 まずは、約40年前から、『事件』に至るまでの背景を捜査することから始めよう」
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(3)東芝パソピア

型式管理システムの誕生(1982年)

「ことの起こりは、『コンピュータ事始め(東芝パソピア)』にあるように、1982年2月にA氏がスタートした『型式管理システム』だ。
  これは、紙台帳で管理されていた『型式管理』業務のデータの記録、更新、帳票等の印刷作業をコンピューターに置き換えたものじゃ。
  システムは、8ビット、4MHzのCPU、主記憶 64KB、外部記憶装置(280KB×2台のFD)の東芝パソピアのOA-Basic語で作られたという。
 

 当初、渋い顔をされていたT部長も、K課長の取りなしや型式更新案内なとができるようになり、軟化されたそうだ。
 上の図は、A氏宅に残るパソピアと5.25インチFD(ミニフロッピーディスク)を2台読み書きできるFD装置の写真だ。
 左側の写真右上のふたが開いて見える個所には、後年、入手された『漢字ROMパック2』が装着されている」

「ディスプレイやプリンタの実物も残っているのかしら?」

「おお、パソピアとFD装置等は、上掲のように残っておったが、残念ながら、ディスプレイやプリンタは、廃棄されて残っていなかった。
 専用のディスプレイ(12インチブラウン管、グリーン)は、後に、サードパーティ製のカラーに買い換えたとのこと。
 左図は、14インチカラーディスプレイに買い換えた際に利用したケーブル(PA7422)。
 丸い側がパソピア側で、反対側を専用のカラーディスプレイに接続した。
 ご覧のように、今のデジタルRGB、アナログRGB端子などとは、異なった形状をしている。
 テレビの場合は、『カラーテレビ変換アダプタ』(PA7370)を介して、下図のように、接続可能だったとのことじゃ。
 




 


 もし、この変換装置があれば、今のテレビにも接続は、可能と思われる。

 また、印刷は、東芝製の漢字プリンタ『ドットプリンタⅡ』(PA7251)(半角最大80桁)を使っていたそうだ。
 ついでに言えば、用紙は、用紙幅 10インチの連続用紙(いわゆるストックフォームで無地のもの)だったようだ」
 
 上図は、ドットプリンタⅡのイメージ。(東芝の取扱説明書より)

「えーと、捜査主任(で、いいかな?)。
 そもそも、A氏って、あなたのことでしょ」

「おっと、それは、捜査上の秘密じゃな。
 それは、ともかく、取扱説明書、型式管理システムのスタート前後の資料を押収してきたので、解析を頼むぞ」

「ちょっと、主任、『押収』は、ないんじゃない。
 事件の容疑者じゃないんだから、参考資料として、お借りしてきたとでも言うべきでしょ」

「いやいや、わしのカンでは、A氏は、事件の重要参考人、または、容疑者と言っても良いじゃろう。
 少なくとも、なぜ、事件が必要だったのか、その謎を解く手がかりがあるはずだ」
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1982年の現場?

「主任、1982年の現場とおぼしき写真が見つかりました!」

「どれどれ。
 
 
 たしかに、ディスプレイやプリンタの特徴が分かるが、パソピアは、言われないと分からん。
 鑑識係みたいにビニールを被っているからな。
 それにしても、ダイヤル式の電話機とは、また、昭和の匂いを感じさせるアイテムが写っていたのう」

「写真の撮影時期は、1982年(昭和57年)12月頃と思われるわ。
 他に周辺の風景を撮影したものものもあった。
 通行人の服装や街路樹などから、秋から冬の時期の写真のようね。
 
 ところで、ダイヤル式(パルス方式)は、主として、1985年頃をピークとして使われていたそうよ。
 ウィキペディアによれば、回転ダイヤル式電話機とは、
 『ダイヤル操作(電話番号の送出操作)する機構に回転式円盤を用いた旧式の電話機のこと。
ダイヤル操作は、奥に数字が書かれた回転ダイヤルの穴に指を入れ、指止めまで右回りに回す。
指を離すと回転ダイヤルが戻り、このときに電話番号1桁分のパルス列をアナログ電話回線に送出する。
これを電話番号の桁数分繰り返して、自動電話交換機に電話番号を伝える。
日本では、1985年の端末機器自由化により減少し、2002年に製造中止となった。
』とのこと。


 脇道だけど、119番について、ウィキに面白い記述があったわよ。
 消防署の電話は、昔は、112番だったんだけど、あることをきっかけに、今使われている 119番に変えられた。
 なんで?、なんで、112番から119番に変わったの?」

「『チコちゃんに叱られる』(NHK)みたいじゃなあ。
 わしも、ときどき、拝見するが、ボーッと生きてきたことを実感するのう」

「NHKの番組のHPは、こちらね。 https://www4.nhk.or.jp/chikochan/
 そして、肝心の答えは、ウィキペディアによれば、
 『1936年(大正15年)までの手動交換では受話器を上げると交換台の加入者ランプが点灯する仕組みだった。
加入者は受話器を上げたあと、フックスイッチを手で上下させて、交換台にある加入者ランプを点滅させることで交換手の注意を引き、電話に出た交換手に接続先の電話番号を告げていた。
 1927年(昭和2年)10月、自動交換になっても長年のフッキング操作の手癖が抜けずに、局番が「2」で始まる神田方面へダイヤルすると、以下のように消防機関の火災報知電話112番に誤接続されるたため、末尾の2番を局番として用いていなかった「9」に変えた。

 フッキング動作毎に、1が送出される仕組みであったので、受話器を取り上げた際に、1,再度、フックを操作すると、1,次に2をダイヤルすると、112に掛けたことになってしまったという。
 例えば、警視庁神田運転免許センターは、3294-XXXX(現在は、3が先頭に追加されている)なので、昔の局番は、2で始まっていたことが分かるわ」
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OSがなかった時代のBasic

「パソピアやMS-DOSが使われる以前のNEC PC 9801のN88 Basicでは、BasicシステムがOSを兼ねているところがあった。
 FD装置を使う際は、東芝 OA-Disk Basic、あるいは、NEC N88 Disk Basic、が必要となった。
 ※ 念のため、付け加えると、パソコン用のHD(ハードディスク)や光ドライブなどは、ほぼ存在していない。

 Diskという文字がつかないBasicシステムは、本体内部のROMに納められていて、電源投入後に自動的にメモリーにロードされる。
 このため、システムの最小構成では、本体とディスプレイ(またはテレビ)があれば動作させることができる。
 ただ、これでは、プログラムなどの読み書きができないので、パソピアでも、PC 8001のように、『テープレコーダー』を接続することもできた。
 しかし、当時のカセットテープ装置は、保存データの読み込みに失敗することが多々あり、事務用としては、高リスクだったようだ。
 このため、A氏も、当初から、NEC PC 8001ではなく、FD装置の利用が可能なパソピアを選択したという話じゃ。
 また、漢字を表示・印字するためには、漢字フォントデータ用のFD装置が必須だった。

 FDを利用するために使われるのが、Disk Basicで、ROMからのBasicのロードに続き、FDからメモリーにロードされたと思われる。
 下図は、東芝のOA-Disk Basicのミニフロッピーディスク。
 FD装置に添付されていたと思われる。
 

 いずれにしても、以下では、FD装置を前提にしているので、煩雑さを避け、Disk BasicのDiskは、略することにしよう。

 さて、例えば、ディスクのファイル一覧を表示させる場合、
 MS-DOSであれば、Dir ドライブ記号: であるが、(Windows のDosコマンド画面でも同様)
 パソピアのOA-Basicでは、Catalog(CAT) FD1 と入力するとFDドライブ装置の1番目のディスクのファイル一覧が画面に表示された」
 
「なるほど。
 Windows 10でも、Dirコマンドは、動作するのね。
 Dosコマンド画面で、Dir D: と入力した図。
 

 ところで、下図の『OA-Basic言語説明書』なんかを見ると、グラフィック機能にも、そこそこ、ページが割かれているわね」
 

「たしかにな。
 上の図の左の『OA-Basic言語説明書』は、昭和56年(1981年)10月30日の発行日が奥付にある。
 A氏の話では、製品購入は、翌1982年2月だったとのことだが、この2冊は、前年の1981年11月に購入したものだそうだ。
 裏表紙の内側に、81.11.28と手書きで記入されていた。

 1981年(昭和56年)11月頃から、渋谷区道玄坂にあった『東芝パソコンサロン』でプログラムの作成等を行っていた。
 A氏によれば、製品の購入を約束した上で、お店のデモ用マシンをお借りしていたということじゃ。
 当時、勤務先が隔週土曜の午後が休みだったため、その午後を使って通ったらしい。
 製品の購入前に、プログラムを作るため、言語説明書などを入手したものと思われるのう。
 実際、『パソピアの利用の手引き』など、同じタイトルが2冊あり、うち1冊は、第2版で、発行日が昭和56年12月となっている。

 ※ マイコンブームは、ホビー目的では、日本では、70年代から始まったが、ビジネス用途は、ほぼ、手つかずの状態だった。
 ※ 1982年頃は、PCを『マイコン』と呼ぶ方が通りが良かったように思う。
  一般に広く『パソコン』と呼ばれるようになったのは、NEC PC 9801 が発売された1983年以降と考えられる。

  しかし、1981年(昭和56年)『花王のパソコン社内革命』(花王石鹸システム開発部著:中経出版)にあるようにパソコンも使われてはいた。
 

 『パソコン』という言葉が日本で、いつ、どこで、だれが使い始めたのか、という謎は、突き止められなかった。
 NHKの『日本人のおなまえっ!』にお任せしたいと思う。

 閑話休題
 さて、OA-Basic 言語説明書のタイトルを具体的に挙げると、
 第1章 概要
 第2章 プログラミングの基礎
 第3章 コマンド
 第4章 式
 第5章 関数
 第6章 グラフィック機能
 第7章 プリンタ処理機能
 第8章 ミニフロッピーティスクファイル処理機能
 第9章 漢字処理機能
 第10章 通信機能
 付録
 となっている。

 第4章の式の中には、CALL (メモリ中のマシン語ルーチンを実行)、
 あるいは、POKE (メモリ上の特定のアドレスに1バイトのデータを書き込む)、
 など、今では、一般の利用者には、あまり縁がないであろう項目も含まれている。
 ※ CALLは、VBAでは、CALL Subプロシージャ名 のように、サブプロシージャの呼び出しに使われる。
 一方、VBAなどで、おなじみの、IF、GOTO、GOSUB、FOR、など、ほぼ、似通った命令群もあることが分かる。
 なお、当時のグラフィック機能では、画面上で踊る直線などを描かせるのは、今のWindowsで行うより、簡単。
 これは、当時のパソコンの利用目的の一つにホビーがあったことを示す証拠であろうな。

 ※ Basicでは、一度、中間言語に訳されたものを、Basicインタプリタが、逐次、実行する仕組み。
   対して、FORTRAN、COBOL、PASCAL等は、プログラムをコンパイルしてマシン語プログラムを生成し、OSが実行するので、速度が速い。
   そのため、Basicで速度がボトルネックとなるルーチンをマシン語で作り、それを呼び出すことで全体の実行速度の向上をねらった。
   そういわけもあり、マシン語に関する命令がBasicに備えられていたということだな。
   今では、CPUやGPUの速度も、比較にならないほど、速くなり、特別な目的がない限り、マシン語を操作することは、ない


「なるほど。
 でも、パソピアの取扱説明書の冒頭では、ホビーから事務用まで、相当広い範囲を見据えて、設計されたことは、伺えるわね。
 下図は、その一部で、上の図が、一番簡単な構成の場合。
 
 下の図は、事務用として、小規模な事業者が利用する場合。

 


 ところで、主任、
 第10章の通信機能、というのは、何でしょう?」

「これは、パソピアのCOMポートと外付けモデムや他のPCとを接続して、相互の通信を行うための機能じゃな。
 ちなみに、IT用語辞典にによると、
 『RS-232Cとは、コンピュータと周辺機器を接続するためのシリアル通信インターフェースの規格の一つ。15mまでの距離を最高115.2kbpsの速度で接続することができる。』ものである。
 今では、その接続の多くが、USB 接続に置き換えられているが、産業機械や測定機器との接続などでは、COMポートも使われているそうだ。
 わしのところでも、昔、ISDNで利用したTA(ターミナルアダプタ)との接続で活躍した。

 下図は、2018年12月の『新・コンピューター事始め(パソコン教室とOffice)』に記載の図を再掲したものだ」
 1996年6月頃のことだ。

 

「ISDNの利用以前は、インターネットとPCとを、どうやって接続していたのかしら?」

「う~ん。
 外付けモデムの場合も、シリアルポートを使っていたと思うが、モデムを使わずに電話線を直接接続できたPCもあった。
 特に、ノートパソコンなどは、TEL と書かれた端子がPC側にあるものが多かったように記憶している。
 これは、PC側にモデム(電話のアナログ信号とPCのデジタル信号とを相互に変換する)機能が内蔵されていたためだ」

「インターネット以外でも使ったことがあったのかしら?」

「毛色の変わった用途では、
 『LANLANパソコン』の第26回『タイムサーバの導入 2005/3/1』で、標準電波の受信器との接続を紹介している。
 これは、日本標準時を知らせる、福島県おおたかどや山からの電波(40kHz:長波)を受信し、PCの時刻を較正するためのJST2000のことだった。
 
 おおたかどや山標準電波送信所、情報処理通信機構のページは、http://jjy.nict.go.jp/LFstation/otakado/index.html、
 おおたかどや山は、主として、東日本向け。西日本向けには、佐賀県のはがね山から発信(60kHz)されている。

 現在では、インターネットとの通信は、ルータを介してPC側のLAN端子を利用、標準時刻も、ネット上のタイムサーバーの利用に置き換わっている。
 従って、最新のパソコンでは、COM(シリアルポート)の出番が減ってオプション扱いとなり、標準では、省かれているようだ。
 ※ シリアルポートは、PC側は、D-Sub(9ピン:メス)が多いが、周辺機器は、9ピン以外に25ピンや15ピンなど、さまざまなピン数のものがある。
 
 COMポート同士をつなぐのが通称『RS-232Cケーブル』じゃが、A氏によれば、これを使い、NEC PC 9801へのデータ転送を行ったということじゃ」
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(4)NEC PC 9801初代への移行

パソピアから9801へのパソコン通信(1983年)

「それが『コンピュータ事始め(NEC PC9801)』(2006/4のご挨拶)で取り上げられている話題ね。
 8ビットPC パソピアから、16ビットPC NEC PC 9801(初代)にBasicシステムを移行するという件。
 パソピアの5インチFDのデータやプログラム(アスキー形式)を9801の8インチFDにコピーするということね。
 具体的には、『パソコン間の異機種間通信を行う』のことでしょうが、現場の写真とか残っていないのかしら?」

「結果的には、『コピー』となるんじゃが、相互を接続するケーブルと通信を制御するプログラムが必要となった。
 パソピアには、8インチFD装置がなく、9801には、5.25インチFD装置がなかった。
 従って、通信機能を使って、パソピアから9801にデータを送るしか方法がなかったのだろう。
 現在ならば、USBメモリーが活躍する場面じゃがな。

 プログラムのロジックは、
 パソピアで、送信したいファイル名を指定して、以下を実行する。
  パソピアのFDからファイルのデータを読み出す(通信バッファの大きさは、不明)、
  パソピアから9801に送信して良いかを尋ねて、9801からの返事を待つ、
  9801から送信許可が出れば、パソピアからデータを9801に送信、
  9801側で受信後、受信した旨をパソピアに送信、
  パソピアでは、9801からの受信完了到着後、データの読み出し、に戻る、
  9801では、データをFDに書き出し、パソピアに送信許可を送る、に戻る、
 パソピアでファイルの終端が来るまで上記を繰り返す。
 終端に達した場合は、その旨を9801に送信し、9801では、当該のファイルをクローズする。
 ということを必要なファイル分だけ、繰り返す。

 従って、A氏によれば、写真など撮っている余裕は、なかったそうじゃ。
 ま、今であれば、カメラを持たずとも、携帯電話やスマホで写真が撮れてしまうがの。
 当時は、(フィルムが入った)カメラがないと写真の撮りようがなかった。
 パソピアと PC 9801を会議室のテーブルの上に並べて、両者をRS-232Cのクロスケーブルで接続して通信を行ったということじゃ。
 双方のPCで作成したデータ通信用のプログラムも残っていないので、下図の通信ケーブル以外の客観的『証拠』は、なくなってしまった」

「そのRS-232Cケーブルがこれね。
 
 このケーブルの反対側は、どうなっていたのかしら?」

「A氏によれば、クロスケーブルが入手できなかったため、テスターを使って、ノーマルケーブルの信号線の一部を付け替えてハンダ付けしたそうじゃ。
 『パソピア利用の手引き』の113ページ(下図)に手書きの丸がある信号線ではないかと思うがのう。
 

 ところで、ともちゃんに言われるまで、9801側に接続した反対側の端子の形がどんなだったかは、気がつかんかったな。
 ピン数は、16本でも形は違っていたかもな。
 さて、どうなっておったか、A氏宅に、もはや、ケーブルの現物が残っていないので分からない。
 PC 9801の初代の仕様または背面の写真でもあれば、分かるかな。
 今、検索してみたんだが、なかなか、見つからないのう。

 なお、パソピアの背面は、利用の手引きでは、下図のようになっていた。
 
 説明書によれば、上図の青い端子(ピン数16本)を本体の上部ケースを開けて、取り付ける。
 RS-232Cケーブルは、パソピアの背面から貫通する穴を通して、下図のように本体内部の PJ8 端子に装着する仕組みだ。
 
 ちなみに、ケーブルのパソピア側の端子の大きさが穴の大きさより大きいので、入らないと思われるじゃろう。
 けれども、穴の中央部で、上カバーと本体とが分割できる構造なので、その点は、簡単に接続できたようだ」

「実際に移行したのは、いつ頃なのかしら?
 A氏の資料では、昭和58年にPC 9801を勤務先が購入したとあるけど」

「パソピアは、A氏の私物だったので、型式管理システムが順調に稼働したことで、勤務先は、今後の扱いに困ったと思われる。
 そこで、新規にPCを購入し、型式管理システムを移行した上で、ラベル集計作業を追加する等の計画が生まれたと考えられる。
 それが1983年(昭和58年)なんだが、その年の何月頃なのかは、はっきりとは分からないのう。
 その間のことは、『コンピュータ事始め(NEC PC9801)』の『パソピアから9801へ』に記載があるが。

 わしの勝手な推測じゃが、予算の関係から、昭和58年度の早い時期ではなく、秋から翌年の3月にかけてではないか。
 また、9801の初代の発売は、1982年(昭和57年)10月、次の9801Fは、1983年(昭和58年)11月なので、1983年11月より後ではなかろう。
 となると、購入は、1983年4月~1983年9月頃、パソピアから移行したのが、1983年秋~冬ということではないか?
 であれば、ともちゃんが前に挙げてくれた写真の風景とも一致する」
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(5)終わりにあたって

今回もご覧いただきありがとうございました。
 Google から舞い込んだ、『生類憐れみの令』 ならぬ 『モバイルフレンドリー』のお知らせ。
 そのお達しに従い、スマホやタブレットなどの小画面でも、快適にサイトをご覧になれるようHPの修正を行いつつあります。
 とは言え、スマホの場合は、横置きにしていただくと、より、見やすいと思います。
 試行錯誤続きの修正に時間を取られ、今回は、内容的には、不十分となりましたことをお詫び申し上げます。
 どうぞ、続きをお楽しみにしてください。
 次回も、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
 ※旧ドメインは、2017/6/1で閉鎖いたしました。
 お気に入り、スタートページ等の変更をお願い申し上げます。

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 作成日 2019/6/29、更新日 2019/7/11

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