会員の皆様へ(2013年11月のご挨拶)

今年の漢字は「謝」か?

目次

 今年もそろそろ
 三人並んでお辞儀
 今年の漢字は、『謝』か?
 合理的と云うこと(追加)
 形を定型にしたがるほど儀式
 終わりにあたって

今年もそろそろ

「いやー、寒くなってきましたな」

「でも、今年は、暖かいんじゃない。
ファンヒーターも、まだ、出してないし」

「お、ともちゃんか。
確かに、去年よりも暖かいかも知れんな。

気象庁のHPから、今年と昨年の東京の「日平均気温」のデータを元にグラフを描いてみると、上のようになっている。
 青い線は、2012年、赤い線は、2013年のものじゃ。
もっとも、10月のデータは、10/26までの平均気温であるがの。
これを見ると、9月を除いて、昨年よりも暖かいことが分かるじゃろう」

「ホント。
夏は、あんまり暑いのは、勘弁だけど、冬は、暖かい方が良いよね」

「いずれにしても、今年も、残すところ、2ヶ月なってしまったのう」
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三人並んでお辞儀

「また、やっていますな」

「そうね。三人並んでお辞儀をする、ということね」


「ホテルの食材等の誤表示問題で、複数のホテルの責任者達がお辞儀をしているのじゃな。
必ずしも、三人というわけではないが、たいてい、そうなのじゃから、食事をした人には、悪いが、少し、笑ってしまうのう」

「2008年の5月の、『シミュレーション力の不足を憂う』の中で、書いているのにね」

「一部を抜き書きしてみよう。
東の国には、「耐震強度がないのをごまかしていた建築士さんの話」、「きちんと審査せずにはんこを押していた検査会社の話」がありました。一方、北の国では、「古い牛乳を混ぜていた牛乳屋さんの話」や「牛肉以外を牛肉と称して売っていた肉屋さんの話」があり、南にも「賞味期限のラベルを貼り替えていたお菓子屋さんの話」がありました。そして、中の国には「ブラックユーモア大賞」を差し上げたい、「夜な夜な、餅とあんを洗っていたお餅屋さんの話」がありました・・」

「そして、謝罪会見では、相も変わらずというか、お辞儀をする人ばかりが交代しても、パターンは、まったく同じね」

「思い返すと、今年も、米の産地の偽装あり、無免許の教師が教えていた学校ありで、いやはやという気がするのう」

「といっても、中国やインドほどではないでしょうが」

「まあ、中国やインドも徐々に変わりつつあるとは思う。
日本でも、戦後の物がない時代には、人絹を絹だとか売りつけたり、うどん粉と言って混ぜ物があったりということもあったしな。
物が豊富になり、消費者の目が肥えてくると、まがい物は、姿を消してしまうと考えられるがの」

「でも、調理したり、他の物と混ぜたりすれば、分からなくなったりするので、法律などで規制しているのにね」

「そう、消費者庁主管の『不当景品類及び不当表示防止法』や『不正競争防止法』などで規制されている。
農林水産物は、『農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律』(通称『JAS法』)が適用される」

「そうは言っても、すべての商品をチェックすることは不可能だわね」

「当然じゃな。
結局のところ、販売業者、製造業者、輸入業者等のモラルに待つところが大ではあるの」

「モラルより、最近は、『コンプライアンスの順守』という言葉を良く聞くわね」

「complianceは、広辞苑によると、『要求や命令に従うこと、特に、企業が法令や社会規範・企業倫理を守ること』と説明されている。
だから、コンプライアンスの順守というのは、順守が余計な気もするがの」

「コストを下げないと、競争には、勝てないしと、つい、条件を緩めてしまう業者もいるでしょうね」

「そう、そういうケースも多い思う。
最終的には、品質の劣る商品を購入して困るのは、消費者じゃから、良品質の商品には、それに見合う価格を消費者も受け入れないといかんじゃろう」

「一番悪質なのは、品質が劣るのに、あたかも勝っているごとく表示したり、品質の良い商品と同等の価格で販売するヤツね」

「そういうことじゃ。
最後は、三人並んでお辞儀をして謝ることになるのじゃがな」

「まったく、懲りない面々ということになるけど。
三人並んでお辞儀をする、というのが、一つの型になってしまったかもね」

「そうじゃな。
それ以外の方法で、謝罪する場面は、見る方も謝る方も、違和感を感じるようになってきたな」

「まさに、型の驚異の効果かも知れないわ」
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今年の漢字は、『謝』か?

「M銀行でも、不祥事があったわね」



「そう、三人並んでお辞儀をして謝っておったのう」

「テレビドラマ『半沢直樹』の土下座シーンや映画『謝罪の王様』など、なにかと、お騒がせしては、謝っているシーンが多かったから、今年の漢字は、『謝』かも」

「ははは、まあ、そんな気がするのう。
公式には、そうはならんじゃろうがの」
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合理的と云うこと(追加)

「2013/7の今月のご挨拶に『合理的と云うこと』と題して、拙文を掲載した」

「日本人の、時に情緒的すぎる面を指摘していたわね」

「行為の中身よりも、謝るかどうかや謝り方について、異常に関心が高くなってしまうのは、おかしかろう」

「みのもんたさんの場合もそんな感じね」

「本質は何か、という点がすっぽりと抜けて、形にこだわる悪いくせが出ているように思うのう。
最近、こんな話題もあった。
踏切内で倒れていた老人を助けようとした婦人が共に電車にはねられて、婦人が亡くなられた、というニュースじゃ」

「JR横浜線だったわね。
遮断機はあったんだけど、倒れていたお年寄りは、足が不自由だったのかも」

「本当に貴い行為じゃ。
しかし、あまり報道されんかったが、踏切には、障害物の検知装置があったということじゃな。
朝日新聞の10/3のデジタル版では、『踏切には最新型の障害物検知器が設置されていたが、反応していなかったことがJR東日本への取材でわかった。
主に自動車を検知する設定になっていたことなどから、反応しなかったとみられるという』というあった」

「でも、その後のニュース等では、あんまし、検知器の件は、話題にならなかったようね」

「ホント、おかしい。
いや、おかしいというのは、検知器の性能のことではないぞ。
性能には、限りがあるから、ただちに、欠陥と云うことは言えんじゃろう。
自動車ほどの大きさがないと検知できんと言うことだから。
ただ、不思議なのは、検知器やそういう安全を確保する手段に関するニュースや報道が広く行われなかったということじゃ」

「確かにね。
火災警報器のときと同じ。大きな火災の報道記事はあっても、記事では火災警報機などにはあまり触れられない。(『火災報道記事の価値』2007/8)」

「木造住宅は火に弱い。
じゃから、少なくても都市部の住宅は、すべて耐火建築にすべしと思うがの。
いつまでも『紙と木の家』ではのう。こんな基本的な点もなかなか決まらない。
もちろん、コストの点もあるのは分かるが、長持ちすることも考えると、まったく、どうしたことかの。
ところで、ともちゃんは、知らんかもしれんが、むかし、大きな踏切には、警手という人がおって、旗をもって、制止したり、遮断機を上げ下げしておった。
それを、いつからか、人員整理して、遮断機という機械にした。
それがいかんとは言わん。
しかし、警手を遮断機や警報器に置き換えただけでは、安全面で、十分ではないことを鉄道会社はもとより、我々も認識していないといけないということじゃ」

「まったくね。
高齢化社会へのスピードが増しているとき、検知機などの技術に待つところが大でしょうね」

「そういうことじゃ。
検知機の精度を上げると誤検知ということもあろう。
しかし、IT技術の進歩で、低コストで、映像や音声を遠隔地から簡単に取得できるようになってきている」

「監視カメラなどでね。
自宅の子供やお年寄り、あるいは、ペットの様子をスマートフォンなどで外出先から見ている人もいるぐらいだから」

「そうじゃろう。スマホやデジカメの顔認識などもすごい技術だ。
一般の人でも、出来る程度のコストになっているのだから、鉄道会社が、その気になって、警報器や遮断機などと併せて監視カメラなどの補助手段を使えば、コストをあまり増やさずに、犬・猫、カラスなどの誤検知を避けて、しかも、人や自転車、自動車があることを高精度で検知することができるのではないか。
もちろん、検知しても、列車の停止が間に合わないこともあろう。じゃが、人身事故の発生頻度を十分に低くできるじゃろう」

「そういう点を指摘しないこととか私たち自身も意識していないことが、合理的でない、ということね」

「踏切ばかりじゃないぞ。
ホームドアの設置も進んできているものの、ホームからの転落が一番危険じゃからな」

「まったく。
おじぃさんも気をつけて下さいな」
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形を定型にしたがるほど儀式

「おかしくない? TVの国会中継よ。
 答弁のために、いちいち、閣僚達が、答弁席まで、出てきては、答弁して、また、引っ込み、また、出てきてというのを繰り返しているのをみると、あきれるわ」

「確かにな。質問する議員は定位置じゃのにな。
 今じゃ、マイクも安価になっているし、いくらでも方策がありそうなものじゃからな。
 ま、それらの方法は、おそらくは、『前例がない』の一言で却下じゃろう。
 国会等の、特に本会議の質問・答弁が、ある種の『儀式』だと思えば、その形を一つの型に(統一)したがる、すなわち、前例を踏襲するということが腑に落ちるのう」

「なるほど。議員の先生方にとっては、閣僚達を追求する姿勢がTVにアップされると選挙区へのPRになるから、かえって大げさに見える形を定型にした方が良いということか。
 ということは、つまりは、儀式は、内容よりも、その形が尊ばれるということね」

「極端に言えば、儀式の中身は、どうでもよい。
 形イコール中身なんじゃから、形を一つの型に統一した方が分かりやすい」

「というと、行事の主催者が前例にこだわる行事ほど、中身のない『儀式』であると判定して差し支えはないということよね。
学校の行事でも、遠足や入学式より、卒業式の方がそんな感じがするわ」

「中国や北朝鮮発の大きな大会のニュース映像ほど、大仰な割に中身が空っぽそうなことを見れば、それが分かるじゃろう。
ひな壇に並ぶ序列が一番の関心事じゃ」

「儀式といえば、今年は、伊勢神宮の遷宮式もあったわ」
「西行法師の『なにごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるる』の歌も紹介されていた。
TVのリポーターも、興奮気味にしゃべっていたな」

「(暗くてなんだかわかんないけど)とにかくすごいですとね」

「そのリポーターの姿が、中身よりも形を大切にし勝ちな、わしらのようにも思えるのう」

「でも、前にやった、形か心か、というところに議論が戻ってくる感じがするね」

「まさに、そのとおりじゃな。
儀式の形(見た目)を定型にする効果は、二とおりあると思う。
一つは、先ほど言った、分かりやすいということじゃな。初心者が習う上で、習いやすいな。
二つ目は、心(内に秘めた想い)は、目には見えにくいが、形なら誰でも見えるのでな」

「重々しい儀式なのに、Tシャツ姿では、伝わりにくいという事は言えるわね」

「まあ、そうじゃ。
だが、中身のないものを重々しく見せることも出来るのでな。
騙されるではないぞ。
重々しいが中身がないか、軽いが中身がずっしりとあるのか、重々しく中身もずっしりか、軽々しく中身もないか、と四とおりはあり得る」

「国会の本会議は、どれなんだろう。
読者の方も一緒にお考え下さいね」
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終わりにあたって

 今回もご覧いただき、ありがとうございました。
 来年、2014年4月9日に、いよいよ、Windows XPとOffice 2003 に対するマイクロソフト社のサポートが終了を迎えます。
 それまでに5ヶ月となったわけです。
 サポート終了後、インターネットに接続して利用するパソコンでは、セキュリティが厳しい状態になります。
 Windows 7、または、Windows 8、Windows 8.1 搭載のパソコンに買い換えましょう。もはや、考えている時間は、ありません。
 特に、Windows 7のプリインストールパソコンは、量販店では、既に販売されておりませんので、通販サイト等を利用する必要があります。年度末が近づくとこれらは、品薄となり得ますので、早めに対処する必要があるでしょう。(参考URL:http://www.nikkeibp.co.jp/xp2014/)
  では、次回も、また、本欄で元気にお会いできますことを願っています。
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作成日 2013/11/1、目次を追加 2019/5/5

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