会員の皆様へ(2010年5月のご挨拶)

名前は大事だよ

目次

 シントウ・シントウ(新党の名前)
 道州制
 今更、攘夷かぇ(勝海舟の話)
 まぎらわしい名前(新党、病院、新歌舞伎座)
 同一戸籍内の子の名前
 終わりにあたって

シントウ・シントウ(新党の名前)

風薫る5月のはずですが、今年は、春の気温の高低差が大きく、4月下旬でも暖房が必要な天候が続きました。
 みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?
 この季節外れの寒さの中で、折しも政界では、「新党」の誕生の嵐(というほど大きくはないけど)が吹き荒れています。
 たいていの新党のスローガンは、「改革」ですな。
 「新党!」、「改革!」、「新党!」、「改革!」と連呼する様は、まるで、幕末の「尊皇!」、「攘夷!」の騒動のごとしです。
 困ったことに、新党を立ち上げた皆さんの中に「坂本龍馬」を気取る方が結構いらっしゃるようで、こうなると、「龍馬」の勢揃いで「おれが龍馬やで」、「いや私こそ龍馬です」と「龍馬」が押し合いへし合いしている感じですな。
 NHKさんも少し、困惑しているかも。
 天国の龍馬も
 「困ったことぜよ。わしゃ、そがいに、俺が俺が、とは言っておらんかったぞな」
 などとぼやいているかも知れません。
 余談ですが、振り返ってみれば、自民党の谷垣総裁が就任早々、2009/9/15に自転車で転倒して、頭を打ったという事件を思い出します。
 幸い、怪我は軽かったのですが、たぶん、軽い脳しんとう程度は、起きたでしょうから、これが、「シントウブーム」のお告げであったのかも知れない、などというあらぬ妄想にとらわれますね。
 自民党としては、「ノー・シントウ」でしょうから。(冗談ですが)
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道州制

とはいうものの、江戸幕府開闢以来、60余州に分かれていた日本が明治4年の廃藩置県で藩を廃して県を置いたわけですが、内実、その規模は、あまり変わらず、今日まで、数百年を経過しているわけです。
 交通や通信手段が発達した現在、狭い日本が47都道府県に細かく分かれている必要は、まったくないということが今後の政治の重要なキーポイントでしょう。
 この点に比すと、郵政民営化などは、むしろ小さな問題です。
 オフィスでは、ひとりの上司が部下を掌握できる人数は、概ね7人程度とされています。日本もせいぜい、7~10ぐらいの「州」に分けた方が利便性や事務の軽減につながるでしょうね。
 この点については、与野党とも大方の議論は、まとまるものと思われます。

 問題は、州の中をどの程度の「粒度」の単位に分けるかという点でしょう。
 現在のように、国-県-市-町・村にならって、国-州-市-町・村と4段階を維持するのか、あるいは、国-州-市町村と3段階にするのか、あるいは、国-州-郡-市-町・村と5段階に小分けするのか?
 これは、選挙制度も併せて考える必要があります。各段階で議員選挙をすると仮定し、段数を増やすと、通常は、議員や役所の職員も増えてしまいます。

 一方、極論ですが、国-州と2段階にすれば、議員の数を減らすことはでき、選挙も簡単になります。
 しかし、州が州内のすべての市民と直接、接点を持つことになると、よほど、職員数を増やさないと手が足りないでしょう。
 これは、州がかえってマンモス自治体となり、大会社と同様に部所や職員間の連携に大いに支障を来しそうです。
 現在でも、省内の調整や部課の調整で手間取っているのですから。
 片や、4段階や5段階制、たとえば、5段階制では、州議員と市議員は、直接選挙で、郡議員は州知事、町・村議員は市長の任命でという考え方もあり得ます。
 いずれにしても、地方知事・市長も「地方分権」と連呼するだけでなくて、地方と国との仕事と予算、税金の分担まで、詰めて議論をしていかないと、容易には、結論が出ない問題です。
 州を置いた場合は、国の仕事は、法律の制定、外交、最高裁、教育のガイドラインと州政府との調整、防衛、感染症・その他の疾病対策、農業政策のガイドラインと調整、医療水準のガイドラインと調整、州をまたがる道路・航空・鉄道に対する調整、各種国家試験、国家規模の研究開発、国民の所得・医療・年金データベースの一元化の策定と管理といった限られた範囲になりましょう。
 たとえば、高等裁判所は、州立裁判所に、国立大学等は、州立大学等と変わります。
 そして、税金は、州税に一本化し、州から国に税収の一部の上納することにしたらばいかがでしょうか?
 州によっては、貧富の差が当然出てしまいますので、国はそれらをプールして、貧しい州政府に交付し平準化に努めることになります。
 国の役割は、外交や防衛、国全体の法律や教育制度を除くと、州の業務のガイドラインの作成と州間の調整が中心となると思われます。
 小さな政府の実現です。
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今更、攘夷かぇ

それにしても、新党の応援団の中から、今更、「攘夷」を叫ぶ方が出てくるとは、驚きましたね。
 在日の人たちの地方参政権や外国人の就業問題についての議論も、明治維新前夜の感覚の発言が見聞きされますが、日本に帰化した人やその子孫が、まるで、「半日本人」であるかのような、トンデモ発言も飛び出しました。
 幕末の英雄、勝海舟に聞かせるとすれば、どう仰るでしょう。
 案外、こんなことを言われそうですな。(以下、想像ですぞなもし)
 べらんめぇ。平成の御代に、そんなことを言っている奴らのつら見たいもんだぜぇ。
 中国や朝鮮が怖いだと。聞いてあきれるねえ。
 お隣の国にあんなに大勢の人が住んでいるんだぜ。
 商いをしてみろよ。もう、やってるって。ほう、インドまで行っているのかえ。
 昔は、天竺と言っていたがな。てぇしたもんだな。
 どうでぇ。いいお得意さんだろ。
 昔、おいらが言っていた通りじゃねぇか
 それを、バカ共が朝鮮や大陸に出兵して力ずくで奪おうなんざ、ドジなことをしたもんさ。
 今、怖がっている連中は、おおかた、その仕返しを怖れているんじゃねぇかぇ。
 悪かったことは、謝っちまうもんよ。
 外交の神髄は、誠心誠意。そうすれば、相手におのずから、こっちの意が通じるはずさ。
 この呼吸が分かるもんには、分かるのさ」

何だって、異人が入ってくると治安が悪くなるって。
 あたりめぇじゃないか。風俗や習慣も違うさ。
 それが世界ってものよ。日本人が平和ぼけしているから、そんなことを言う奴が出てくるのだ。
 まずは、教育をやってごらん。
 教育と言っても異国の人だ。通訳もいるだろう。
 今、仕事がなくて困っている連中を雇えばいいのさ。
 金はかかるよ。でも、後でかえってくる金だよ。
 当然、異国から来た人には、ちゃんと仕事も与えなくちゃならないさ。
 異国との橋渡しをしてもらうんだよ。商いも盛んになる。日本に観光に来る人も増えるだろう。
 もちろん、所得のある異人さんからは、税金も取るよ。
 今のことだから、選挙もさせるし、日本に帰化したいというなら、ある程度の条件付でいいから、帰化させればいいのさ。
 子供も増えるさ。
 昔、おいらも、幕府が壊れた後、血気にはやる御家人達に仕事を与えるのに苦労したよ。
 なに、生活保護費ばかり増えるのを苦にするのが仕事じゃないよ。
 自ら働かせる工夫が大切さ。それが、政治を担う者の智恵じゃないのかぇ」

 「何かい、異人を入れると政治が牛耳られちまうって心配しているもんがいるんかい。
 へー。心配性の奴らだな。アメリカを見ねえ。
 アメリカは、どうだい、オバマ大統領って人が出たそうじゃないか。
 少しは、アメリカを見習ってご覧よ。

 ほー、異人が増えると「日本文化」が消えてしまうっていうのかぇ。
 そんなことで消えてしまうものは、消えてしまえばよいのさ。

 消えてしまうものは、所詮は、その程度のもんだったと思ったらいいのさ。
 何でも、終戦の時に「国体護持」てやつで、大もめにもめたんだってな。
 腹切ったもんもいたそうだな。
 今じゃ「国対誤字」って変換されちまうし、「国体」は、「国民体育大会」と誤解されちまう。
 敗戦で、そんなでいじな「国体」は、その後どうなったかぇ。今じゃ、話にも上らんだろうが。

 ま、幕末にも、「攘夷」、「攘夷」って一つ覚えのように叫ぶ奴もいたさね。
 おいらも、ほとほと、手を焼いたわな。
 なーに、日本文化と言っても、古代や飛鳥、奈良、平安の御代には、朝鮮や中国の文化を取り入れるのに懸命だったじゃないか。
 禅坊主なんかもっと後で入ってきたろうが。そいつが今の日本文化の元だよ。
 そりゃ、先祖もただ、取り入れるだけでなくて、いろいろとアレンジしたさ。しかし、そんなところだな。
 おれが思うには、日本人というのは、異国から取り入れて自分流にアレンジしてしまう能力は優れている。
 だから、いろいろな異人や文化が入ってきても心配は、していねぇよ。
 大昔を考えれば、日本人の祖先は、どこか南方か、あるいは、チベットの方から、はるばるとやってきたんじゃないのかぇ。
 まして、人間の先祖は、猿だと聞いたがの。違ったかな。
 そこまで考えれば、所詮、国なんざ、その程度のものさ。腹を切るほどのことはないよ」

 「そういゃあ。こないだ、新幹線というやつに乗ったよ
 陸蒸気(おかじょうき)といって、新橋-横浜間が開通したころから知っているおいらには、文明開化ってもんが、しみじみ分かるわな。
 しかし、駅員が少ないね。もっと、駅員を働かせないといけないよ。
 おいらは、常々栄養ばかりじゃ、体のためにはならないよと言っているが。
 どうでぃ、見ねぇ。糖尿病とか言う、やまいが増えていると言うじゃないか。

 鉄道や会社や学校だって、効率、効率ばかりじゃ、いけない
 な、そうしてみねぇ。全国にステーションがある時代だ。
 地下にもあるのかぇ。地下鉄って言うのかい。てぇしたもんだな。
 主な駅だけでも、駅員を増やすだけでも、ずいぶんと雇い人を増やせるじゃないか?」

 「え。金がねぇ? 運賃を上げればいいよ。
 京王線なんざ、初乗りが120円と言うじゃないか(勝さん。京王線をよう知ってはりますな~)。
 今時、120円はねぇだろうよ。200円でもいいよ。
 その分、雇い人を増やして、結果、経済を豊かにして、しかも、安全を確保するのさ。
 なんだかんだ言っても、「安全」は、異国から輸入できねぇよ
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まぎらわしい名前

新党の一つ「立ち上がれ日本」の略称の届出が「日本」となるようです。
 既存の「新党日本」の略称と同一で、「新党日本」から抗議の声が出ていますが、総務省としては、届出があれば、受け付けざるを得ないと言うことのようです。
 まったく、紛らわしいことです。

 余談ですが、私の家族などは、「立ち上がれ日本」をどうしても「がんばれ日本」と覚えてしまっています。
 バレーボールの影響でしょうか。
 「がんばれ日本」(チャチャチャ!)の方が語呂が良かったなあ、と思います。
 もっとも、これでも「略称」の問題は、解決できませんが。

 話は飛びますが、身近なところでは、区内の病院の「慈生会病院」が2010年4月から「東京病院」(中野区江古田)となりました。
 その近くには、「中野江古田病院」や「中野総合病院」などがあるための、苦肉の命名という気もしますが、今度の「東京病院」の紛らわしさは、なかなかのものです。
 中野区や新宿区には、一例を挙げると「東京医大病院」、「東京警察病院」、「JR東京総合病院」、「東京女子医科大学病院」、「東京厚生年金病院」などがそろっています。
 Googleなどで検索すると、もっと、莫大な数の病院が「□□東京○○病院」という文字を使っています。
 一番、気がかりなのは、救急車やタクシーで行く場合です。
 結構な勘違いが起こりそうです。お互いに気をつけるしかないですが、ぜひ、病院の所在地を正しく伝えたいものです。
 たとえば、「中野区江古田の東京病院をお願いします。」などと言うのがよいでしょう。
 タクシーの運転手さんも新しい名称を知らないかも知れませんから、できれば、「以前、慈生会病院といったところです」と付け足せば、完璧でしょう。

 私ごとですが、今年の春先、タクシーで「警察病院まで」といったところ運転手さんに「飯田橋ですか?」と言われてしまいました。
 「最近、中野に移転したんですよ」と教えてあげて、事なきを得ましたが、ぼんやりしていると飯田橋まで連れて行かれるところでした。(^^;)

 三題ばなしではありませんが、まぎらわしい名前と言うことで、もう、ひとつ追加しましょう。
 「新歌舞伎座」という劇場が新宿にありました。
 「え、新宿? 銀座じゃないの?」という方は、お若い。
 私の家の者が、「戦前、新宿で歌舞伎をやっていた」というので、「本当かい」と検索すると、出ました。
 銀座の「歌舞伎座」は、折しも、昨日(2010/4/30)に約60年の歴史に幕を下ろして、2013年に改築されることは、皆さんご承知のことでしょう。
 上記の「新歌舞伎座」は、ウィキペディアによりますと、新宿区新宿3丁目にあったそうです。
 昭和4年(1929年)に開場。歌舞伎興行から始まり、松竹少女歌劇団の本拠地や映画館などの変遷を経て、昭和35年(1960年)に閉鎖。
 現在は、三越の所有地となっていて、大塚家具が新宿ショールームを開いています。
 更に、面白いことに、ウィキによりますと、この「新歌舞伎座」とは別に「新宿歌舞伎座」(うへ!まぎらわしい)という劇場が、新宿区四谷に同時期にあったとのこと。
 いやー、驚きましたな。
 まったく、「名前は大事だよ」。
※上述の「東京病院」は、2011/9より「総合東京病院」と名称が変わりました。(2012/10/3 追記)
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同一戸籍内の子の名前

Webを調べると、法律の条文としては、ないようですが、法務省の通達で「同一戸籍内の子に他の家族と同一の名前(つづりがおなじもの)を付けることは不可」のようです。
 「よみ」は、同じでも、つづりが異なれば、「可」のようですが、まあ、紛らわしいでしょうね。たとえば、母親が、「田中花子」なのに娘に「田中花子」を付けるのは、不可です。
 よみを「たなかよしこ」と読ませることにしてもダメです。
一方、「田中美子」と命名して「たなかはなこ」と読むのは、有りです。(止めた方がよいとは思いますがね)
 私などは、コンピュータのフォルダとファイルの関係を説明するときに、フォルダが一つの家族で、ファイルは、それぞれの人であり、同じ名前は、届け出られませんよ(保存できない。上書きされてしまう)と、よく説明していることなので、今回調べてみて、やはり、そうだったのかと安心しました。
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終わりにあたって

 今回もご覧いただき、ありがとうございました。では、来月まで、どうか、お元気でお過ごしください。
 今後とも、ご愛読のほど、よろしく、お願いいたします。
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